本当に気、遣う。

私がもし35とかそのへん、人生の折り返し地点よりも早く若死にしたら、それは気遣い死にしたと考えて頂いて間違いない。
気遣い喫茶の店主はサトエリじゃなくて私だ。

美人薄命、若死に予備軍の私は、前髪ぱっつん、おかっぱでそれはそれは日本人形のように可愛らしい17歳の女子高生。
まぁ栗山千明のおかっぱバージョンを思い描いてもらえると早いかな。

しかし、それこそが我が家の大問題であり、私が若死にしそうなほど気を遣う原因であったりする。
なぜか。答えは簡単。父親が黒人なのだ。
父ちゃんの名前は、スタン・ゴヤーク。ジャマイカ出身のはげののっぽで名前も見た目も救いようがないほど外人で、ジャパニーズドーリーファイス、鼻ぺちゃ、胸ぺちゃ(それはしょうがない)でおまけに雪国生まれらしく色白でさえある私との共通点を未だ見つけられないでいる。ちなみに母ちゃんは色白の鼻ぺちゃ、胸ぺちゃで早い話、私と(私が)そっくりなのだ。
欲目で!欲目で!ようく見れば、口元が父親と似てなくもないと思うし、母親のDNAが強すぎただけかもしれないと思うが、まぁ、最上級の欲目である。父と母の遺伝子配合の結果が栗山千明な私とは思われない。そして誰も思ってくれない。歴然。分かっているのだ。しかしこれほどあからさまに血の繋がらない家族であっても、当の両親からその点について言及されたことは一度たりともない。普通以上に普通の会話しかしていない。主にご飯の話しかしていない。だから、自分の出生、そこから来る両親の微妙な関係などを不可解に思うことなくすくすく育てた可能性もあったように思う。
しかし、実際の私はとくダネ!を家族団らんして最後まで見ることさえできない。血にまつわる一切のことが話されない我が家で血液型選手権なんて危険すぎる大会を開催できようか。いや出来ない。とくダネが始まった
8歳の時から一度たりとも家族3人揃ってあの部分を見たことはない。一重に私のナイスアシストの賜物だ。幼きより我が家のタブーに気付き気遣い今の私がある。

そしてそれはなんといっても滝ヶ瀬村の皆様のおかげなのだ。平成の大合併でどことも合併してもらえなかったどうしょうもない村。人口は3000人を一昨年切り、総勢2869人の村。娯楽なんてあるはずはなく、他人の噂話が欠くことのできない暇つぶしツールである村。
クリスタルな大都会、東京なら他所は他所と思ってくれたかもしれないが、ここはなんとなくクリスタルな知事が治める及川郡滝ヶ瀬村。

想像に難くないと思うが村人とは往々にして、新しいもの珍しいものを受け入れるよりは排他することでその暇を埋める生き物だ。というのも、奴らのほとんどがジジババで構成されているからだろう。奴らが疑いなく受け入れるのは年金だけに違いない。
よって、黒い男とその周辺(私と母)など恰好の噂のえじきだった。私にことを気付かせてくれた第一村人は、我が家の坂の下に住む森本のババァ。
「あんたもらわれ子やろ」
てゆうか、生まれて最初の記憶がこれ。不憫、私。何の権利があっていたいけな少女にそんなことを、告げたのだろうか。ただ森下のババアのように面と向かって言う人はそう多くいたわけではない。奴らなりに小さな共同体で生き抜く気遣いをみせているわけだ。が、目は口ほどにものを言う、浅はかな気遣いなど、押し寄せる好奇な視線の前に無意味であった。目が語る。
「全然似てへん」
「似てるて」
「どこ、が?」
「あーーでも」
「うん」

「言われてみたら、、」
「な?」
「うん」
「やっぱ、ないわ。」
ほんまに黙らすぞ、永久に。
とまぁこのようなみなさんのおかげで、ものすごく空気がよめるお子様にぐいぐい育ち、それはつまり若死にの第一歩を早々に踏み出していたことになる。

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